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静岡地方裁判所 平成7年(行ウ)3号 判決

原告

薮崎淳

服部寛一郎

右両名訴訟代理人弁護士

藤森克美

阿部浩基

諏訪部史人

大多和暁

被告

天野進吾

右訴訟代理人弁護士

高山幸夫

増田堯

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  原告らの請求

被告は、静岡市に対して金二四五七万円及びこれに対する平成六年八月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、静岡市の住民である原告らが、平成六年七月三一日付で静岡市長を退職した被告に対し静岡市条例に基づく退職手当を支給するため、専決権限を有する同市人事課長がした支出負担行為又は支出命令が違法無効であると主張して、被告に対し、地方自治法二四二条の二第一項四号後段に基づき、支給された退職手当相当額を不当利得として静岡市に返還するよう請求した事案である。

一  争いのない事実

1(一)  原告らはいずれも静岡市の住民である。

(二)  被告は、昭和六二年の静岡市長選挙に当選して同年四月に同市長に就任し、平成三年の同市長選挙で再選されて同年四月から二期目の任期を務めていたが、平成六年七月三一日付で同市長を退職したものである。

2(一)  静岡市事務決裁規則(昭和五八年静岡市規則第四号。但し、平成七年静岡市規則第一二号による改正前のもの。以下同じ。)により退職手当の支給の決定につき専決権限を有する静岡市人事課長は、被告からなされた平成六年七月三一日付の退職手当の請求に対し、同日、特別職の職員の給与に関する条例(昭和三一年静岡市条例第三三号。以下「特別職給与条例」という。)七条に基づいて、退職手当二四五七万円の支給の決定(以下「本件支給決定」という。)をした。

右退職手当の額は、特別職給与条例七条二項に従って、退職日における被告の市長としての給料一〇五万円に在職月数三九か月を乗じて得た額にさらに一〇〇分の六〇を乗じて算出したものである。

(二)  静岡市事務決裁規則により退職手当の支給に係る支出負担行為及び支出命令の専決権限を有する同人事課長は、平成六年七月三一日付で、本件支給決定に基づき、被告に対する退職手当の額二四五七万円につき支出負担行為及び支出命令(以下、右支出負担行為及び支出命令を併せて「本件支出決定行為」という。)をした。

(三)  静岡市出納事務局規則(昭和五〇年静岡市規則第二七号)により退職手当の支給に係る支出行為の専決権限を有する静岡市会計課長は、右(二)の支出命令に基づき、平成六年八月一二日付で、被告に対する退職手当の額二四五七万円の支出行為をし、被告はその支払いを受けた。

3  原告らは、平成七年一月二〇日、静岡市監査委員に対し、本件支出決定行為及び右2の(三)の支出行為につき監査請求をしたが、同監査委員は同年三月一七日付で原告らに対し、右監査請求には理由がないとの監査結果の通知をした。

4  なお、静岡市職員懲戒規則(昭和二三年静岡市規則第二七号)三条二号は、「職務の内外を問わず公職上の信用を失うべき行為があったとき」を職員(市長の補助機関である職員、選挙管理委員、監査委員等をいう。)に対する懲戒事由とし、また、静岡市職員退職手当支給条例(昭和二七年静岡市条例第一三号。但し、平成七年静岡市条例第一四号による改正前のもの)三条四項一号は、地方公務員法二九条の懲戒に関する規定による免職処分を受けた職員(一般職に属する職員をいう。同法四条)に対しては退職手当の支給をしない旨を定めているから、一般職に属する静岡市職員(以下単に「市職員」という。)が信用失墜行為をしたときには、懲戒免職処分を受けて退職手当の支給がなされないことがあることになる。

他方、法律上又は条例上、市長に対する懲戒処分についての規定は存在しない。また、特別職給与条例七条一項によれば、退職手当は市長等(市長、助役、収入役、公営企業管理者、常勤の監査委員及び固定資産評価員を指す。同条例一条)が任期満了その他の理由により退職したときに支給するものとされ、同条例九条により、市長等が在職中に禁錮以上の刑に処せられたことにより、又は懲戒免職により退職したときは、退職手当は支給しないとされているほかは、市長に対する退職手当の支給を制限する法律上又は条例上の規定は存在しないから、懲戒免職処分を受けることのない市長については、在職中に禁錮以上の刑に処せられたことにより失職する場合(地方自治法一四三条一項、公職選挙法一一条一項)を除き、退職に際して退職手当の支給がされないことはないことになる。

二  争点

1  原告らは、本件支給決定が違法無効であり、したがって、本件支給決定に基づく本件支出決定行為も違法無効であって、被告が本件支出決定行為に基づき静岡市から退職手当として二四五七万円の支払を受けたことは不当利得に当たると主張するものであるが、本件支給決定が違法無効であるとする根拠については次のとおり主張する。

(一) 憲法一四条違反

(1) 市長に対する懲戒処分についての規定が存在しないことは、懲戒権者が自らを罰するのは論理上不能であり、あるいは市長が選挙された者である以上、リコールや選挙で住民が市長を交代させればよいという考え方が、その根底にあるものと考えられるが、非行によって退職する市長に対し退職手当を支給することについてはこれと同様に考えることはできない。

納税者側からみれば、非行のあった市職員に対する退職手当の支給が許し難いのと同様に、市長の非行による退職の場合にもこれに対し退職手当の支給がなされることは許し難いものである。そして、市長と市職員との関係は、憲法一四条一項にいう「政治的関係」又は「社会的関係」に含まれるものであるから、非行によって懲戒免職処分を受けた市職員に対する退職手当の支給がなされないのに、これと同程度の非行があったため退職する市長に対し退職手当の支給がなされることは、同項で禁止される差別的取扱いに該当するものというべきである。したがって、特別職給与条例中の、市長に対し退職手当が支給されない場合を在職中に禁錮以上の刑に処せられたことにより退職したときに限定し(なお、刑事訴訟の長期化の実態に鑑みれば、在職中に禁錮以上の刑が確定することは殆ど存在しないから、この制限も実質的には死文である。)、それ以外の場合には、市職員であれば懲戒免職処分の事由となるべき程度の非行により退職する場合であっても退職手当の支給をなすこととする関係規定は、憲法一四条一項に違背するものであって、無効である。

(2) 被告は、静岡市長に在職中、①同市長の認可等の権限と密接な関連のある岩石の採取及び土地開発を行うことを業とするみやこ土木株式会社の代表取締役松井義雅と同行して、前後一一回にわたり海外・国内旅行をし、その費用の大半を同人に負担させたほか、ホテル、高級クラブ等で二〇回以上に及ぶ接待を受けた一方で、静岡市開発推進室長に命じて松井義雅と同行の上他県の団地開発の視察をさせたり、松井義雅に対し同人の所有土地に関係する未公表の静岡市の開発計画を漏洩したりし、②株式会社東和地所の静岡市吉津地区におけるゴルフ場建設計画に対し、議会等で積極的に歓迎する発言を繰返し行った一方で、被告の後援会が同会社から五〇〇万円の寄付を受けたことについて静岡県警察本部から収賄の疑いで事情聴取を受け、③静岡市職員に対する贈賄により有罪の確定判決を受けた甲賀建設代表取締役金子信明と同行して二回海外旅行をした、などの非行を行ったのみならず、議会での再三の追及に対しても非行の事実の開示をせずに居直りを続けていたが、右②の警察の事情聴取を受けるに及んで辞職に追い込まれたものである。

(3) 右(2)の被告の非行は、市職員が行ったとすれば、静岡市職員懲戒規則三条二項に該当し、優に懲戒免職事由に当たる程度のものであることは明らかである。それにもかかわらず、静岡市人事課長は、違憲無効の特別職給与条例の関係規定に基づいて、本件支給決定を行ったものであるから、本件支給決定は違法無効である。

(二) 権利の濫用・信義則違反

(1) 被告は、静岡市長としての第一期目の任期中の平成二年六月九日付で、「職員の服務規律の保持について」と題し、市職員に対し、職務上利害関係のある者と会食、旅行等をするなどして住民の疑惑を招き、市職員の信用を失墜させることを戒める内容の通達を発した。

被告は、右通達を発することにより、当然の前提として、自らもかかる非行とは無縁であり、仮にこれに違反したときには自らに対し厳しい制裁を課することを納税者に宣言したものと捉えることができる。

(2) 被告は、右(一)の(2)のとおり、右通達で戒めた内容を超える非行を行って(なお、被告は、平成六年三月七日の議会運営委員会において、業者との不祥事に関連して、自らを減給するための条例案を議会に提出する意向を示したのであるから、自己の非行を認めていたものである。)、退職したのであるから、当然退職手当の受領を辞退すべきである。それにもかかわらず、退職手当を請求することは権利の濫用であり、信義則に違反する。

(3) したがって、被告のした退職手当の請求に対して静岡市人事課長がした本件支給決定は違法無効である。

2  右1の原告らの主張に鑑みれば、本件の争点は次のとおりである。

(一) 特別職給与条例中の退職した市長に対する退職手当の支給に関する規定が憲法一四条一項に違背するものであるかどうか(争点一という。)。

(二) 仮に、争点一において、特別職給与条例の規定が憲法一四条一項に違背するとした場合に、被告が原告ら主張の非行によって退職するものであり、これが市職員であれば懲戒免職処分の事由となるべき程度の非行により退職する場合に当たるものであるかどうか(争点二という。)。

(三) 被告が退職手当の請求をすることが、原告ら主張の理由により権利の濫用であり、信義則に違反するものであるかどうか(争点三という。)。

第三  争点に対する判断

一  争点一について

1 市長と一般職に属する市職員とでは、その身分取得の方法、在職期間、職務の内容、服務規律の性質等、公務員としての地位に制度上顕著な差異が存するのであるから、地方自治法二〇四条、二〇四条の二、二〇五条を受けて定められた特別職給与条例が退職した市長に対する退職手当の支給を制限する事由について市職員に対するものとは異なる定めをしたとしても、それが右のような公務員としての地位の差異に由来するものとしても不合理であると認められる場合のほかは、かかる定めをもって憲法一四条一項に違背するものということはできない。

2  原告らは、右第二の一の4のとおり、市職員が懲戒免職処分を受けて退職する場合には退職手当は支給しないものとされているのに、制度上市長に対する懲戒処分が存在せず、これを市長に対する退職手当の不支給の事由とすることができないところから、市職員であれば懲戒免職処分の事由となるべき程度の非行により市長が退職するに至った場合にもなお退職手当を支給すべきこととする特別職給与条例の関係規定は憲法一四条一項に違背すると主張する。

そこで検討するのに、一般に公務員に対する懲戒免職処分はあらかじめ定められた規則等に従って公正な手続下における事実認定及び判断を経てなされ、かつ不服申立て又は抗告訴訟の提起によってその処分の適否を争うことも認められているのであり、静岡市においても、地方公務員法を受けて静岡市職員懲戒規則が制定され、その詳細な手続きを定めているところである。したがって、懲戒免職処分を退職手当の不支給の要件としても明確性に欠けるおそれはなく、退職手当の不支給に対しても右の手続上の保障が間接的に及ぶことになると考えられる。市長についても、懲戒免職処分をすることが理論上あり得ないことは置くとしても、特定の非違行為を退職手当の不支給事由とすることは考えられないではないであろう。しかしながら、その場合には、市長が、一般職に属する公務員とは異なり、議員と共に、住民の直接選挙により選任され、直接住民に責任を負う地位に立つものであり、そうだからこそ、議会と市長とが相互に抑制し合うことにより強力かつ適正な権限行使が図られるという事情を十分に考慮すれば、自ずからその事由も限られたものとなるほかはない(もちろん、原告が主張するように、「市職員であれば懲戒免職処分の事由となるべき程度の非行」とするのでは、あまりにも明確を欠くものといわざるを得ない。)。さらに、不支給の決定に至る過程において市職員に対する場合と同様の手続的な保障を与えることも必要であると考えられるが、退職手当の性質上、その支給又は不支給の決定は後任の市長により、あるいはその下で専決権限を有する職員によってなされるほかないことや、右のような市長の地位の特質、更には退職と当該事由との因果関係を考慮すると、その制度設計はまことに困難といわざるを得ない。反面で、これが政争の具として利用される虞れさえないとはいえない。

そうだとすると、特別職給与条例が、退職手当不支給の事由を、右のような不都合の存在しない、在職中に禁錮以上の刑に処せられたことにより退職したときに限定して、原告らが主張するように、「市職員であれば懲戒免職処分の事由となるべき程度の非行」により市長が退職する場合をその事由としなかったことが、市長と市職員の公務員としての地位の差異に由来するものとしても不合理であるとは到底解し得ないところであり、同条例の関係規定が憲法一四条一項に違背するものということはできない。

二  争点三について

仮に、被告が原告ら主張の内容の「職員の服務規律の保持について」と題する通達を発し、かつ自ら業者との関係で原告ら主張の行為に及んだことがあったとしても、それによって、法律上又は条例上、直ちに退職手当請求権を喪失することにはならない。また、退職に際し退職手当の請求をすべきかどうかという道義上の問題が生ずることがありうることは別として、原告ら主張の程度の行為があったからといって、被告が退職手当の請求をすることが権利の濫用であるとか信義則に違反するとかいうことはできないし、ましてこれに応じて退職金を支給したことが違法であるとは考えられない。

第四  結語

以上によれば、その余の点につき判断するまでもなく、原告らの本件請求は理由がない。

(裁判長裁判官曽我大三郎 裁判官石原直樹 裁判官杉本宏之)

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